久しぶりにショッピングに行ってきた。
「何歳になっても孫は孫だから」と誕生日に祖母がお祝いにと1万円を送ってくれたので、(それなりに私も大人なので申し訳なさもあるけど)ありがたく自分のために使おうと買い物に出た。
行き先はイオン。
中規模田舎の象徴。
週末になれば、ここらの人間が一気に集まるようなところだからそれなりにお店も入っている。
今日は服を買う予定だった。
以前、ちょっとおしゃれに着るお出かけ着を買ったのは1月。
夏になる前にもう一着くらいほしいなと思い散策。
ついでにおしゃれサンダルなんかもあったらいいな、なんて。
今日は確実に買うつもりで行った。
だって、タンスにはほとんど服はないし。
今週友人と出かける服も正直ない。
それなのに、2時間ほどうろうろして私が買ったのはGUのキャミソールと銀だこのみ。
キャミソールは、この前古くなったのを捨ててしまったので必需品の買い足しだし、銀だこは空腹でふらついてきたので買ったにすぎない。
おかしい。
私は服と靴が欲しかったのに。
もちろん、買うつもりで見て回っていた。
あんまり服のセンスがないので、これ!と決めていたわけではないが、なんとなくワンピースみたいなものが買えたらいいなと。
でも、買わなかった。
服と靴以外も予算内でコスメなんかもいいのがあったら買おうと思っていたし、カチューシャも探していた。
なのに買わなかった。
買わなかったというよりは買えなかったのだ。
私の買い物の基準は「ときめき」
買うぞとレジに持って行く時も、おうちに持って帰った時も、おうちで袋を開ける時も、初めてそれを使う時も、全ての場面でウキウキするような買い物がしたいのだ。
買い物をする、というだけならネットでもできる。
でもそれをせずに、店に出向くのはそのときめきを一つ残らず感じたいから。
今日の私は予算も持っていたし、自分としても買っても良いと決めていた日だった。
それでも買えなかったのは全然ときめかなかったからなのだ。
可愛い服を見ても、素敵なコスメを見ても、おしゃれな靴を見ても。
何が問題なのだと思う人もいるだろうが、私からしたらこんなに悲しいことはない。
素敵なものを見て「素敵!!!」と思う気持ちをどこかに失ってしまったのかもしれない。
ときめきを期待して出かけたのにとても残念だ。
落ち着かない毎日だとしても大切な感情を手放したくはない。
ただでさえ感情の起伏が激しいのに、上がる方が減ってしまっては辛い。
もっと感情、感性を大切にしたい。
買わないにしても、書いたいけど買わない選択をするのと、買いたいものすらないは違う。
次のショッピングの時にはときめきを感じられるよう、丁寧に過ごしていきたい。
次は素敵なワンピースを買えるといいな。