「今日お風呂の壁掃除したよ〜」
「玄関綺麗にした!」
「シンク掃除済んでます」
「洗剤補充しといた〜」
私が何気なく「報告」のつもりで言っていた言葉がパートナーにとってプレッシャーになっていたらしい。
最初に言っておくと、これは別に喧嘩になったとか愚痴を吐きたいとかそう言うのではなく、何気ない会話の中で家事の話になり、価値観や感性の違いが面白かったという話。
家事分担
我が家には明確な家事の分担がない。
気がついた方がやる、できる方がやる。
2人ともできないなら、外注する。
これが我が家のルール。
決めておくとやらなかった時に揉める気がして、
ならはじめからない方が良いよね、という判断。
んで、そうなると、8割型私が対応することになる。
平日家に帰るのは私のほうが早いし、
せっかちなので、気になったら即やりたい私の方が当たり前に先に取り掛かる。
それに何より、家事への「めんどくさい」の気持ちがパートナーより私の方が少ない。
私の場合は、お腹が減ったからご飯を食べる、という動作に、当たり前に、「食事を用意する(≒自炊する)」という行為がくっついているのだ。
それに子どもの居ない家庭での二人分の家事なんて、たいした量じゃない。
完璧を目指さなければ疲れるほどでもない。
責めているのではなく報告
そんな感覚だから、
冒頭での私のセリフたちはあくまで報告。
それが、パートナーにとっては、
「家事やっていないな、お前。ちゃんとやってくれないから私がやる羽目になったんだよ!」
という責めに聞こえるらしい。
わざわざ家事をした報告をされる意味がわからないとのこと。
ここは、育った家庭の違いが大きい。
私の実家は5人家族で、誰かがやってくれた家事で、次の自分の動きが決まるから、みんな当たり前に報告していた。
ご飯を作ってくれている母に向かって、「お風呂洗ったよ」と言えば、次の日早く起きる必要のある三女に「お風呂に入りな〜」と声がかかる。
「洗濯回したよ」と言えば、次女が干してある洗濯物を取り込んで、たたみ始める。
そんな感じで、連携しながら家を回すから、パスするつもりで伝えているし、
同じ家事をダブってやってしまったり、スケジュールを立てていた人が困らないように伝える感じ。
(あとは、子供の時は母からのありがとうが嬉しくて伝えていたのもある)
一方、パートナーはシングルマザーで、ずっと二人暮らしだったから、その連携がほぼ必要なかったとのこと。
だから、どうしていちいち私が報告してくるのかわからず、ずっと不思議に思っていたらしい。
それに、自分が家事をやった時に「ありがとう」と言われたいと思っていないから、ありがとうを催促される感じも違和感だったとのこと。
本当に、感性も価値観も違う。
ちなみに、私は「ありがとう」の一言で、陽気に家事を進めるので、だいぶちょろいし、できたら伝えて欲しい旨を説明している。
私は自分の生活空間を把握したいタイプだから、何かが補充されていたり、掃除されていると気がついてお礼を伝える。
それはもはや、癖?みたいなもので、特に意味はないんだよね。
見張られているみたいで怖いらしいけど。
あと、私のめんどくさいところは、
「排水溝汚かったから綺麗にして、スッキリになった!」
と言った時は、「ありがとう」よりも「よかったね」が欲しい。
だって、ぶっちゃけやらなくても生活はできるし、汚れていてもしばらくは困らない。
私がやりたくてやったことに対して感謝されるのはおかしいし、でも共有したい。
だから、そんな時は私のご機嫌に共感が欲しいのである。
つまり
話が逸れまくった。
つまり何が言いたいかって言うと、責める気持ちは全くないよねって話。
これはパートナーと話した時も一生懸命説明して、なんとか納得してもらった。
家事している側が文句言われることってあんまりないけど、
責められているとしたらしんどいもんね。
まぁ、やりたくなくなったら私もやらないから安心してほしいところ。
人と住むって難しいよね。