せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

使わないのでさようなら

長い間、なんだか捨てられなかったイヤリングとついにさよならした。

ピアスの穴を開ける前に買ったものなはずだから、多分6年以上前に買ったもの。

下手したら8年くらい前かも。

 

このツヤっとしたタイプのお花柄って、よくあるタイプなんだけど、結構お気に入りで。

片方失くしてからもなかなか捨てられずずっとアクセケースに入れていた。

だけど、さすがにそろそろさよならした方が良いなと思い、意を決して処分。

大きいものとか最近買ったものの方が意外と処分しやすくて、ずっと持っているものの方がなかなか難しい。

 

今回は、捨てるか迷ったので、一旦よく目につく場所に置いてみて、そこに置いていて「邪魔だな」と思うまでは持っておくことに。

一週間もすると、なくても良いなって思うようになって、捨てられた。

 

見ないようにすることで「忘れられたから捨てる」って人もいると思うけど、「お気に入りの場所に置いてハッピーにならないから捨てる」も悪くないなと思った。

 

年末に向けて細々としたものをしっかり整理して、気持ちよく新年迎えたいね。

久しぶりの真っ直ぐな負の感情

大人になると、みんなそれなりに上手にこなすようになって、

「嫌い」の感情をぶつけられる機会が減るように思う。

自分自身も、苦手な人とは関わらないよう、なんとなくうまくやるよう調整することが増えた。

 

んだけど、久しぶりに他人に真っ向から嫌われる事案が発生している。

新しく始めたパート先でのこと。

 

対話はかなり慎重に、なるべく元気よく一生懸命に私なりに頑張って動いているつもりなんだけど、どうも私の言動が逐一癇に障るみたい。

 

度々、コソコソと悪口を言われる。

しかも、残念なことに私に聞こえる範囲で。

聞かせたいのか、コソコソするのが下手なのか。

聞いている側の人は同調するでもなくやんわり宥めてくれているみたいだけど、

こんなに人から「嫌い」の感情をぶつけられるのは久しぶりで正直戸惑っている。

 

今日のコソコソは、

「彼女が話に割り込んできたせいで……云々」

 

割り込んだと言うより、私が先に話していた相手だから、

3人で話していたつもりだったんだけど、彼女的にはそうではなかったみたい。

私の業務についてだから私から説明した、というのが私の言い分だけど、

直接の「割り込まないで」の注意ではなく、コソコソの悪口だから言い訳もさせてもらえない。

 

これ、難しいのが、私の話なのに私がじっとしていたら、

「あなたの仕事の話なのに」と怒るタイプなのだ。

 

んで、多分あそこまで怒るのは私だから。

多分嫌いなタイプなんだろうね。

 

コソコソ悪口に向かって、

「気に障ったのならすみません!」

なんて言ったら、それこそ喧嘩売ってるじゃん?聞かなかったふりするしかない。

いや、喧嘩すれば良いのか?

 

その人は一から十まで指示を待つタイプが好きみたいなんだけど、

私は「次これですか?」と聞いてしまうタイプ。

その人の嫌いなタイプに気がつくにも時間がかかってしまい、気がついた頃には嫌われていた。1ヶ月ちょっとで……。

 

シフトによってはもう1人のベテランさんと組むこともあるけど、

その時は怒られることはなくて、ほぼ任せてもらえているから私があまりにも仕事ができないから怒られている、というわけではないと思っている。多分……。

 

いや、こんなに負の感情剥き出して嫌われるのなんて、中学生以来ですよ。

いやね、周りが優しかったからというのもあるとは思うんだけど、30近く歳下の相手によくもまぁそこまで悪意剥き出しにできるなって。

 

パートとはいえ、結構作業自体は楽しいので、そんなことで辞めるのも癪。

正直、嫌われているなぁって感じながら働くのは大人でも悲しい。

ただ、こういうマイナスの感情を操る練習に良い機会かなとも思っている。

 

他人の感情はどうにもできない。

あと、真っ向勝負しても多分良いことない。

それなら、この不安になる感情を上手に飼い慣らして、ある意味「気にしない」術を身につけるべきだよね。

 

「気にしない」ってやつがなかなか苦手でして!!!!

 

やーだな、って思ったらここで吐き出して、うまいこと感情コントロールしていきたいな。

あとね、伝わり方はイマイチだけど、

普段からちょっと食い気味で話しちゃう癖は間違いなくあるので、そこはほかの人にも不快な思いさせないために気をつけていきたい。

 

一拍待つ!

いろんなことを自分の糧にしていこ。

去年と比べると少ないけれど

2024年も早いところで残り1ヶ月。

早い、早すぎるよ。

普通に意味がわからない。

 

わーーーーってバタバタしているうちにあっという間に過ぎた1年。

 

去年に比べるとブログを書けるタイミングが少なかった。

夏とかだいぶ減っちゃって。

 

まぁ、誰に強制されているわけでもない、私の息抜きの場。

ここに来る余裕もないくらい忙しかったとも言えるし、

ここで吐き出さなくて良いくらい穏やかだったとも言える。

 

今年はどちらもあったかな。

 

書くも書かないも全てが私の記録。

 

ありがたい場だなと思う。

 

振り返りの12月。

もうすでに忙しいのが目に見えているけど、

なるべく大事に過ごしたい。

大掃除は計画的に

早いもので2024年も後1ヶ月程度。

年末大掃除の時期が近づいてきた。

 

私の大掃除は1日にまとめてやることはない。

寒い冬に、何時間も窓を開けて頑張る元気はない。

 

だから大掃除は計画的に進める。

 

そもそも貧乏20代夫婦が住む狭いアパートだから、たいして掃除の対象もない。

1ヶ月かけて出来そうな日にそれぞれの場所を割り当てて、少しずつ進める。

 

ここでポイントなのは、「あらかじめ割り当てる」こと。

出来そうな日に進めよ〜、だとやらない。絶対やらない。

気がついたら12月31日になっている。

 

早く帰れそうな日、用事のない休日にどんどん場所を割り当てていく。

私の区切り方はこんな感じ。

 

  • 玄関
  • 洗面台周り
  • 洗濯機周り
  • お風呂(洗い場)
  • お風呂(浴槽)※もちろん上と同じ空間だけど、めんどくさいので区切る
  • シンク周り
  • ガスコンロ周り※こちらもお風呂同様
  • 冷蔵庫周り
  • リビング
  • 部屋
  • トイレ
  • ベランダ
  • (気が向けば)窓
  • 押入れ

 

これ全部1日でやることを想像するとなんだか疲れてくるけど、

一つ一つはそこまで重くない。

 

大事なのは、長くても30分〜1時間で終わる単位で区切ること。

そうすることで、仕事終わりとかでも、ご飯を炊いている待ち時間とかに済ませられたりする。

 

私は大抵お風呂に入る前に済ませる。

汚れてもすぐに洗うから気にならないし、お風呂上がりに綺麗な場所が待っているのが嬉しい。

 

今年分もすでに、洗濯機周りと玄関は終了している。

かなりスッキリしてご機嫌。

 

大掃除もしたいのは私なので、なるべくパートナーは巻き込まないで計画を組む。

まぁ、ガサガサやっていると気になるのかちょっと隣から手を貸してくれるんだけどね。優しい。

なるべく居ない時間にサッと済ませておきたいところ。

 

大掃除も普段の家事と同様に、無理なく、疲れない範囲で!

責められている気がする?

「今日お風呂の壁掃除したよ〜」

「玄関綺麗にした!」

「シンク掃除済んでます」

「洗剤補充しといた〜」

 

私が何気なく「報告」のつもりで言っていた言葉がパートナーにとってプレッシャーになっていたらしい。

 

最初に言っておくと、これは別に喧嘩になったとか愚痴を吐きたいとかそう言うのではなく、何気ない会話の中で家事の話になり、価値観や感性の違いが面白かったという話。

家事分担

我が家には明確な家事の分担がない。

 

気がついた方がやる、できる方がやる。

2人ともできないなら、外注する。

 

これが我が家のルール。

決めておくとやらなかった時に揉める気がして、

ならはじめからない方が良いよね、という判断。

んで、そうなると、8割型私が対応することになる。

 

平日家に帰るのは私のほうが早いし、

せっかちなので、気になったら即やりたい私の方が当たり前に先に取り掛かる。

 

それに何より、家事への「めんどくさい」の気持ちがパートナーより私の方が少ない。

 

私の場合は、お腹が減ったからご飯を食べる、という動作に、当たり前に、「食事を用意する(≒自炊する)」という行為がくっついているのだ。

それに子どもの居ない家庭での二人分の家事なんて、たいした量じゃない。

完璧を目指さなければ疲れるほどでもない。

 

責めているのではなく報告

そんな感覚だから、

冒頭での私のセリフたちはあくまで報告。

それが、パートナーにとっては、

「家事やっていないな、お前。ちゃんとやってくれないから私がやる羽目になったんだよ!」

という責めに聞こえるらしい。

 

わざわざ家事をした報告をされる意味がわからないとのこと。

 

ここは、育った家庭の違いが大きい。

私の実家は5人家族で、誰かがやってくれた家事で、次の自分の動きが決まるから、みんな当たり前に報告していた。

 

ご飯を作ってくれている母に向かって、「お風呂洗ったよ」と言えば、次の日早く起きる必要のある三女に「お風呂に入りな〜」と声がかかる。

「洗濯回したよ」と言えば、次女が干してある洗濯物を取り込んで、たたみ始める。

 

そんな感じで、連携しながら家を回すから、パスするつもりで伝えているし、

同じ家事をダブってやってしまったり、スケジュールを立てていた人が困らないように伝える感じ。

(あとは、子供の時は母からのありがとうが嬉しくて伝えていたのもある)

 

一方、パートナーはシングルマザーで、ずっと二人暮らしだったから、その連携がほぼ必要なかったとのこと。

 

だから、どうしていちいち私が報告してくるのかわからず、ずっと不思議に思っていたらしい。

それに、自分が家事をやった時に「ありがとう」と言われたいと思っていないから、ありがとうを催促される感じも違和感だったとのこと。

 

本当に、感性も価値観も違う。

 

ちなみに、私は「ありがとう」の一言で、陽気に家事を進めるので、だいぶちょろいし、できたら伝えて欲しい旨を説明している。

 

私は自分の生活空間を把握したいタイプだから、何かが補充されていたり、掃除されていると気がついてお礼を伝える。

それはもはや、癖?みたいなもので、特に意味はないんだよね。

見張られているみたいで怖いらしいけど。

 

あと、私のめんどくさいところは、

「排水溝汚かったから綺麗にして、スッキリになった!」

と言った時は、「ありがとう」よりも「よかったね」が欲しい。

 

だって、ぶっちゃけやらなくても生活はできるし、汚れていてもしばらくは困らない。

私がやりたくてやったことに対して感謝されるのはおかしいし、でも共有したい。

だから、そんな時は私のご機嫌に共感が欲しいのである。

つまり

話が逸れまくった。

つまり何が言いたいかって言うと、責める気持ちは全くないよねって話。

これはパートナーと話した時も一生懸命説明して、なんとか納得してもらった。

 

家事している側が文句言われることってあんまりないけど、

責められているとしたらしんどいもんね。

 

まぁ、やりたくなくなったら私もやらないから安心してほしいところ。

 

人と住むって難しいよね。

いっぱい食べる私が好きだった。

20代も半ばを超え、悲しいことに、食べる量が減ってきている実感がある。

 

私のたった二つの取り柄。

 

「いっぱい食べる」

そして

「健康」

 

このどちらもが、急に揺らいできて、正直なところ結構悲しい。

特に食べる量に関しては、楽しみが一つ減ったような気がして切ない。

 

普通の定食を残すとか、

ラーメン1人前を食べられないとか、

食べ放題が一回切りとか、

そんなことはない。

 

ラーメンは通常の200gは食べられるし、

餃子もつけちゃうし、

飲み会では最後まで飲みながら食べている。

 

それでも、子供用の弁当かな、という量のランチで満足できてしまう自分もいる。

 

それに、油物やスイーツが前よりもたくさん食べられなくなった。

 

大好きな生クリームも、

前だったら!前だったらね、ボウルいっぱいに食べられると思っていたのに、今は、シュークリーム1個分で満足している。

こんな悲しいことってある?

 

トンカツは4切れで十分な気がするし、

唐揚げも3つでいい。

 

なんと言うか、胃が弱い。

圧倒的に弱い。

やる気がなさすぎる。

 

いっぱい食べる私のこと、

私が一番好きだったんだろうなって思う。

 

そして、私と同じくらいのテンションでパートナーも悲しんでいる。

同い年のはずなのに、まだまだもりもり食べるパートナー。

驚くけど、羨ましい。

 

今は、節約になるしいいか、と思うようにしているけど、

まぁ、悲しいよね。

 

いっぱい食べる私、戻ってくる日はあるかな。

ちょっと違う、は結構怖い

普通とちょっとズレるとやっぱり怖い。

それが故意でもそうじゃなくても。

 

室内なのにパーカーのフードをかぶっているとか、空いてるエスカレーターで真後ろの段につかれるとか、ペットリードにタワシつけてるさとか。

 

この前あった話。

電車待ちの時の列で黒パーカーでフードをかぶっていた男性。

室内でフード珍しいな、と乗る前はほんの小さな違和感だったけど、

電車に乗るとその人が吊り革につかまって、前に後ろに横にゆらゆらし始めた。

様子がおかしい。

その人の目の前に座っている人は寝ていて気がついていないっぽかったけど、目の前でやられたら多分怖い。

いつ自分の方に倒れてくるかもわからないし、変な人かもしれないし。

 

体調を崩していたのかもしれないし、何か事情があったのかもしれないけど、電車という封鎖的な空間で何かあってからでは遅いので、とりあえず私は途中駅で車両を変えた。

 

このなんか怖いなって感情、考えすぎなのかな。

エスカレーターなんかは、混んでる時間帯でもみんな一段飛ばしで乗るし、真後ろの段に立つのはカップル同士くらい。

何かあってからでは遅いと思ってしまう。

何かある時に必ず違和があるわけではないと思うけど、気になってしまうのだから仕方ない。

 

本人にぶつける感情じゃないから許して欲しいところ。(誰に)

 

普通とちょっと違うってなんとなく怖いよねって話。

掃除が好き?

「掃除好きなんだね」

 

そんなこと言われたら某奥様を見習って、

「好きじゃねーよ」

と言いたくなるけど、確かに私の行動はそう言われても仕方ないような気もしないでもない。

 

綺麗好き、とかそういうのではなくて、

多分、ただ単に、

「綺麗なほうが嬉しい」

からやっているだけだとは思う。

 

でもまぁあれか、たまにしか掃除しないような場所だと、

掃除した後は見るからに綺麗になるから、それが嬉しくてしているようなところはある。

 

今日は洗濯機の周りを掃除したんだけど、

正直なところ半年以上はちゃんとした掃除はしていなくて、

水を流すと裏からサラサラと埃がで。

(届く範囲はものを落とした時とかについで掃除していた)

さすがに終わった後の洗濯機の周りはスッキリしていて、色もなんか違っていて、ニヤニヤするレベル。

 

こう言うのがあるから、

「毎日丁寧に掃除」

よりも

「がっつりできる日にまとめて」

が好きだったりはする。

 

そのせいで今日は書こうと思っていたブログ3本書きそびれた。

文章を書くのは好きなことだから、それを掃除が上回っていると言うこともできる。

 

そうは言っても、パートナーからの「掃除好きなんだね」には、「違うわ!」って言いたい。

汚いよりは綺麗なほうが嬉しいでしょうが!それだけだわ!って気持ちになる。

 

ゲームで負けてばっかりだけど何度もやる人に向かって、

「負けるの好きなんだね」とは言わないじゃん?

負ける、も結果だからちょっと違うけど、それでも勝つ瞬間が楽しいわけであって、負けるためにやっているわけじゃない。

そんな感じ。

 

ま、気持ち良い部屋のために今日もちゃっちゃと掃除はしますけどね。

 

「料理は嫌いだけど美味しいもののために作る」

そう言っていた母をちょっと思い出す。