時々、片付けの参考にミニマリストさんのYouTubeの動画を観る。
「炊飯器ではなく、鍋で炊く」のように参考になることもしばしば。
今使っている炊飯器(7000円くらい、6年目突入)が壊れたら買い換えずに鍋でもいいかなぁ、なんて思えたり。
そんな彼らの「捨てたもの」に関するものでよく出てくるものの中には、「そうか、普通の家にはあるのか……」というものがいくつか出てくる。
今の私の家にはない(=ものを減らしたい私の家にない)、という意味ではなく、実家にもなかったものたち。
私の実家は、どちらかというとものが多い。
どちらか、なんて言わなくても多い。
父と妹たちは増やし体質、母と私は溜め込み体質なので、かなりのもので溢れている。
それなのに他の人が意識して減らすものは置いていないのだ。
たとえば、玄関マットと台所マット。
確かに祖父母の家にはあったりもした。
でも実家にはなかった。
友人のおしゃれな家にはあった印象。素敵な人の特権だと思っていた。
そうなると私も一人暮らしを始める時に買おうとも思わない。
母は台所マットを敷かない代わりに、すぐに拭けるように雑巾を床に置いていた。何かこぼしたら足で雑巾を動かしてサッと拭くのだ。
私は雑巾を置いておくのが嫌なのでやっていないが、効率は良いと思う。
水回りでいうと三角コーナーもなかった。
こっちは、一人暮らしを始めた時に一度買ってみたが、ドロドロになるのが嫌で1年で手放した。それからは母と同じようにビニール袋をつるさげて、そこに生ごみを入れている。
掃除機も、あったのかもしれないが我が家で活躍している姿は見たことがない。
基本は拭き掃除だった。
他にも、「そうか、それは専用のものがあるのか……」というものがちらほら見受けられる。
ということは。
私にとって「あって当たり前」のものも、他の誰かは代用品であったり、ないまま快適に過ごしているかもしれないのだ。
大切なものなら、とても良いと思っているなら、何も手放す必要はないが、特に感情もなく使っているのであれば、他の人の知恵を借りるのも良い。
良くも悪くも、それまでの育ち方が自分の常識になりやすい。
でも、私はもう大人だ。
新たな私の「当たり前」を作っていっても良い。
ものが少なければ少ないほどいいとは思わない。
だって、たくさん持っていても、素敵な生活空間を作って、楽しい暮らしをしている人もたくさんいるから。
今あるものをどう、活かしていくか。
いろんな人の生活の良いところを覗きながら自分の快適を探していきたい。