小学校も、中学校も、高校も、大好きだった私。
マリマリマリーの動画を見て、ふと思い出した。
特段友達が多いわけでもなく、クラスの中心だったわけでもない。
それでもずっと学校が好きだった。
夏休みや冬休みの長期の休みもそれなりに楽しんではいたものの、最後の方には必ず
「そろそろ学校にいきたいんだけど……」
となっていたし、熱とかで休むことになったりしたら本当に悲しかった。
休みたくない気持ちが強すぎて、中学高校ともに皆勤賞。
休みたくない気持ちが、健康な体まで作っていた。
何がそんなに楽しかったかと聞かれるとよくわからないけど、とにかく好きだったのだ。
多分、学校というシステムが私によく合っていたのだと思う。
中学の頃から、それはうっすら感じいていた。
私が好きで通っている学校だけど、もちろん来なくなってしまう人もいたわけで。
世間で言われるような強い理由がなくても、だんだんと来なくなる人もいて、学校とは合わない人もいるんだということを知った。(家で楽しそうな不登校さんもいたので)そして、私には合っている組織なんだなぁと。
融通がきかなくて頑固な私の性格は、学校という組織の中では良い評価につながることがありがたいことに多かった。
家は、決して英才教育ではなかったので、私にとって学校は目新しいことばかり。
だから、授業や行事もしっかり取り組んでいたし、それは「真面目」という、学校のみで通用するプラスの評価としてとってもらえていた(世ではマイナスな意味の時も多いよね)。ルールをガッチリ守って、同級生にうざがられても、先生からは「真面目」としか思われない。嫌われることはない。
逆に、納得がいかないことに文句を言っても、子どもだからか、普段「真面目」と捉えられているからか、「熱心」と言われて、嫌がられることはなかった。
とにかく、私の性格が「学校」という組織のにすごくマッチしていたのだ。
だから、心地よかったし、のびのび過ごせた。
それに、これは間違えなく、運が良かっただけの話なのだけど、先生にもとても恵まれていた。
生徒と真正面からしっかり向き合ってくれるような、そんな先生ばかりだった。
これは、私だけがそう思っているわけではないと思う。小学校低学年の時の担任と今でも連絡を取り合っている同級生は何人もいる。
いろんなタイプの大人が、いろんな「一生懸命」を見せてくれたから、毎日楽しく過ごせたんじゃないかと思う。
悩みなしの生活だったわけじゃないけどね
こんなに好きだ好きだ言っておきながら、悩みは尽きない学校生活だった。
学校が好きなタイプって、友達が多い人が多数派だと思うのだけど、私は残念ながら違った。
中学の時なんて、1年間ほぼ友達ができず、2年生になって友達になった人に「毎日一人で図書室きてたよね」なんて言われるほど。
その頃はそんなことには全然気が付かず、私は私の生活を真剣に過ごしていたわけだけど。
後から、友達の少なさにびっくりして悩むのだ。
恋に部活に勉強に、考え込みがちな私は悩みだらけだったけど、それでもいつでも学校は、私の行きたい場所だった。
思い出になって美化された……という要素も少しはあると思うけど、少なくとも「休みたい……」となったことはなかったのだから、あの気持ちに偽りはないと思う。
今、毎日辞めたいという気持ちを持って会社に向かっていることを、昔の私が見たらどう思うだろう。
「行きたくないならいかなきゃいいじゃん!」
そんな声が聞こえてくる。
行きたいから行っていた学校。
欲望に忠実だったからこその皆勤賞。
それだけだった。
じゃあ、行きたくない今は?
私一人の生活なんてどうにでもなるのに、なんで嫌な気持ちで毎日行っているの?
昔の私に恥じない毎日を送れるように頑張らなきゃな。