
小さいことは「不利」である
普段から、身長の小ささがコンプレックスであることはここで書いている。
何事も限度はあるだろうけれど、基本的に人間は大きい方が生き物として強いと感じている。
今回のイタリア旅行でも、街中では私たちの小ささをとても感じた。
イタリア人、平均身長が大きい。
日本人としては平均身長のパートナーも、西洋の方々に囲まれると小さく見える。
「戦ったら負けるな……」とひっそり思っていた。
(怖い思いは一切しなかったから杞憂だったけどね)
ただ、この旅行中に1か所だけ、「小さくてよかった〜」と感じる場面があった。
長時間フライトと小さな私
長時間フライト。
それは、動けなくて、狭くて、窮屈なイメージ。
だけど、身長が小さな私は違う。
まず、座席であぐらがかける。
お風呂後で足の臭いもないし、靴を脱いで、あの小さなスペースであぐらをかく。
隣はパートナーだったから、多少のはみ出しは許してもらえる。
普段から、家ではデスクチェアでもあぐらで過ごすことも多いので、慣れた姿勢。
脚が疲れてきたら、体勢を変えられるのは良い。
それに、前のスペースも広く取れる。
前の座席の人がかなり座席を倒してくるタイプだったのだけど、それでもそこまで狭さを感じない。ちょっと上半身を動かしたり、座ったままストレッチをする余裕もある。
座っているところにも余白があるので、毛布を詰めたり、ボールを置いたりして、自分の過ごしやすいようにセッティングできるのもよかった。
もちろん、パートナーに少しスペースを譲ることもできる。
長時間だからこその
これ、短時間のフライトだとあまり感じない。
LCCなどの小さな機体で狭さを感じないという良さは感じているものの、短時間の時はスリッパに履き替えたりもしないので、基本座り姿勢のまま。
座り姿勢だと、小ささが不利になる。
足がちゃんと床につかないから、ぶらんぶらんして、収まりが悪いのだ。
今回、長時間だからこそ、狭い機体の中で体勢を変えたり、スペースを作ったりできることのありがたさをしみじみ感じた。
基本的には小さい自分は好きではないけど、この時だけは嬉しく思った、という話。
機内食の時も書いたように、長時間フライトが思いの外しんどくなかったから、また遠くに行ってみたいな〜。