「車が全くきていない道でも信号を守る」
そんな私を
「信号無視してきた車に轢かれそう」
と揶揄してくるのは、悲しいかな、私の父親だ。
父は、私のことを馬鹿にしているわけではなく、本気で心配しているのだ。
「真面目すぎる」……と。
真面目でつまらない奴
残念なことに私は真面目だ。
これは決して誇れることではなくって、自虐的な意味だ。
そもそも、「真面目」が褒め言葉として使われることなんてあるだろうか。
後ろに「面白くない奴」と書かれているような気がしてならない。
褒められるのは学生で、しかも先生相手の時だけだ。
「扱いやすい子」
そういう意味で。
いつぞやは、落ちていた1,000円を拾った先輩に、「ネコババするんですか〜?」と聞いてしまった。
次の店で使お!と言われ、そんなお金で奢ってもらっても嬉しくないから言ってしまったのだけど、明らかに「冷める発言」
いつもなら笑って我慢するのだけど、その時はお酒も入っていたこともあり、そのまま聞いてしまった。
でも、普通に、順当に考えれば私は間違っていない。
ネコババはダメだし、可能なら交番に届ける。
交番に届けるまではさすがにできないから、放置をする。それだけだ。
でも、やっぱりこれは「面白くない奴」なのだ。
空気が読めないわけではないから、シラフの時は気を付けるようにしている。
いくら、道徳的に、ルール的に、ダメなんじゃない?と思っていても、大多数がやっていることなら我慢する。
子供の時はその場で言ってしまっていたけれど、それが場を「白けさせる」と知ってから、気を付けるようになった。
ポイ捨てとかは我慢できないから、その人が離れた後に拾っておくし、自分の道理はこっそり通すけど。
下ネタさえも振られない
そんな私だから、私が大丈夫な範囲でも気を遣われる。
もはや嫌われていると言っても過言ではない。
飲み会などの雑談の場では、私が来ると下ネタが止まる。
そういうことに険しい顔をするタイプだと思われているのだ。
実際はそんなことはない。
下世話なのはあまり好きじゃないけど、普通の会話なら別にするし、エピソードトークとして聞く分には面白いと思っている。
でも、そうは思われない。
飲みの場くらいしか聞けないから、とちょっと楽しみにしていても止まる。
真面目の印象が強すぎるから。
真面目すぎるは悪?
10年くらい前にやった同窓会。
15人くらい集まって、集金の結果、1000円余った。
小銭で返すのはおかしいし、私が預かった。
……そう、預かった、のだ。
未だその1000円を私は封筒に入れて大事に取ってある。
次の同窓会が開かれる時に、足しにするために。
でも、このことも、友人には「キモ真面目」と言われてしまう。
引かれているのだ。
私からすれば、人様のお金だし、無断では使えない。
その時も多分、「次に取っておくね」と言っているのだ。
私の方に使う選択肢なんて残っているわけがないのだ。
ルールは守る、道理は通す、約束は守る。
そんなにおかしなことだろうか。
おかしくないから面白くないのかもしれない。
そんな私は休日の過ごし方もつまらない。
献血と図書館。
そう聞いて、話を広げられるだろうか。
本質は
悪いのは、「真面目」ではなくて「面白くない私」なのかもしれない。
つまらない奴というレッテルを回避するためにルールを破るのも違うと思うけど、そうではないらしい。
おそらく、「融通効かない」ということなんだろう。
私からすれば、そこの信号を破ったって大した差はないのにな、という感じなんだけど。
他のところで、正攻法で、巻き返せば良いのでないか、と。
これで可愛ければ、「素直で可愛い」だったのかもしれない、とさらに落ち込む。
ブスの真面目は「つまらない奴」なのかもしれない。
うーん、現実。
空気を読んで、ひとまずは場が白けないようにだけはしなくてはいけない。
ダメなもんはダメだと思ってしまう私は、まだまだ。