私は芸術センスがまるでない。
悲しいくらいにない。
楽しみたい気持ちがないわけではない。
楽しい音楽を聴けば踊り出すし、素敵な絵を見ればときめく。
自分でもやってみたいと思うし、チャレンジもしてきた。
でも、センスがない。
血の滲む努力をしたわけではない。
だから、「センス」で片付けている私に腹が立つ人もいると思う。
でもね、同じように練習していても結果の出やすさは絶対に個人差があると思うの。
それに、努力できる、というのもセンスだ。
軽音部で急にギターが上手くなった彼は、毎日毎日コツコツ練習していた。でも、辛そうな様子はなかった。だから急に上手くなったように見えた。思い返せば毎日弾き続けていたのだけど。楽しそうに、でもコツコツと。
サラサラっと可愛いイラストを大学ノートの端に描く彼女は、「私も得意ではないのよ」と言いながら、たくさん描いていた。決して義務ではない落書き。でも、それがとても素敵だった。
彼らは、上手くなるまでの道が苦痛ではないのだと思う。
そりゃ、上手くいかなくて「悔しい!!」ということはあるだろうけども、その道のりが苦痛ではなく、そこも楽しめている。彼らは上手くなることがゴールではないのだ。
そうでないと、あんなに楽しそうな顔ができるとは思えない。
間違いなく努力の賜物。でも、その努力できることは才能なのだ。
昔は絵を描くのも好きだった。
筆屋の孫。
物心ついた頃には、画材が周りにたくさんあった。
サンタのプレゼントも筆と画用紙。
休みの日には絵の具で自由に絵を描いていた。
うまいとか下手とかそんなのなく。
でも、その楽しさの終わりは急にきた。
「小夏の絵、下手だね」
そう言われてしまった時に気がついてしまったのだ。
完全に「下手の横好き」だということを。
確かに、下手なのだ。人は歪んでいるし、ものも特徴を捉えられていない。
小学生だったし、相手に悪気は全くなかっただろう。でも、私は、そこで初めて自分の絵を客観視するようになったのだ。いや、してしまうようになったのだ。
今でも描くのは嫌いじゃないが、「下手すぎる!」という感情がすごい。
思っているように描けないことも、何かを見本にしないと描けないことも本当に悔しい。
音楽も同じだ。
中学では吹奏楽、高校では軽音、と色々と音楽に触れてきた。
歌うのも演奏するのも楽しい。本当に楽しい。
でも、上達はしない。
真面目な方だったから、練習は熱心に行っていたが、「完璧」を目指す力がないのか、どうしても「そこそこ」にしかなれない。
ベースも憧れて始めたが、仲間が耳コピやアドリブを身につけていく中、私は譜面通りのことしかできない。
もっと上手くなればもっともっと楽しいのだろうな、と思っていても全然そこに辿り着けない。
同じように育ったはずの次女はピアノなどの経験がないにも関わらず、耳で音をとってキーボードでメロディくらいは弾けていた。ダンスだってそう。1,2回みただけで一緒に踊れる次女が羨ましくてたまらない。
私と彼女はどこで違ったのか。
それでもまだ、頑張れば上手くなるかもという気持ちが捨てられないのだ。
芸術を「見る」「聴く」側に完全になれれば、楽しい気持ちだけでいられるだろうに。
まだ「生み出す」側、「魅せる」側を諦められないのだ。
苦しんでやるものではないと思うし、それは私の求めているものとは違う。でも、頑張りたい。下手だな、と自分にガッカリするようなレベルから抜け出して、心から楽しめる域に辿り着きたい。
わがままな私の身勝手なお話。