せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

「いじめを止めろ」というけれど

いじめのことが話題になると

「止めに入らなかったやつもいじめっ子と同罪」

といった類のことを言う人がいる。

 

いじめられている姿を見て一緒になって笑っていたのならそうだろう。しかし、同じ教室いて止められずにいた人も本当に同罪だろうか。

私は、いじめをその場で止めに入れるなんてよっぽどのバカだけだと思っている。普通の感覚を持っていれば、ジッと息を潜めている方が良い。

しかし、かくいう私も昔はそのバカの一人だった。

 

同罪だなんだと止められなかった人のことを責める人のほとんどが止めに入った経験などないと思う。したことがある人ならそんなこと簡単に言えるはずない。

 

小学生の頃、同級生がトイレに呼び出されているところに乗り込んだことがある。正義感バチバチの怖いもの知らずの私。呼び出されている子とは、仲が良いどころか少し苦手だったのにも関わらず、「だめなことだから」というだけで、呼び出しという名のいじめに邪魔するために乗り込んだのだ。その時はそれを一緒にやってくれる友人が一人いた。だから、ということもあるはある。しかし、その時その人がいなくても最終的には乗り込んでいた自信がある。今思うと怖いものなしでバカみたいに強い正義感だけで動いていた。

もしかしたら次のターゲットは自分になるかもしれないし、悪口を言いふらされるかもしれない。まあ、当時の私はそんな心配ひとつもしていなかったのだけど。自分の味方になってくれている人がきっといるはずという謎の自信があったのだ。

 

ね、バカでしょう?

偽善でもなんでもなく、素直な正義感。誰に何を思われるか、ではなく、その行為が「正しいか正しくないか」

乗り込んだ時も最終的には先生に報告に行ったのだが、「なんでもっと早く言いにこなかったの?!」と私と友人が怒られた。誰かに褒められるためなら一番に先生のところに行くと思わない?

そう。正義を守るためには多少脳を介さない動きが必要なのだ。

 

 

急にこんな話を出したのは、職場でのパワハラを知ってしまったから。もともと「パワハラ一歩手前だよ……」と思ってみていた人が完全にパワハラになること言ったことを知ってしまったのだ。完全にターゲットになってしまっている人が一人。呼び出されてネチネチ文句を言ったり、みんなの前で謝らせたり。こんなのいじめと変わらない。

知ってしまったのだからどうにかしたい。でも、私が余計なことをすることで、受けている人がさらに不利益を被るかもしれない。

本人がどう思っているかも聞けない距離感の相手。20ほど年上の人のために30ほど上の人間に立ち向かえるだろうか。

小学生の私ならできていたんだろうなと情けなくなる。でも、残念ながら今の私はバカにはなれない。

2年目社員にできることなんてないのだろうか。

会社に言いたいけど言ったらどうなる?

わからない。

でも、ほっとくのも良くない。絶対に良くない。

正義感バチバチな私は高校生まで健在だった。

どこに行ったの、あの頃の私。