これはかなり人のよって意見が分かれる話題だが、私は愚痴にアドバイスはほしくない派だ。
相手にもよるので、その感覚が共有されていない相手には「これは愚痴です。聞いてください」「これは相談です。アドバイスください」の宣言を行う。
昔知り合いで「アドバイスして何が悪い?!」と熱く語る人がいた。
心配だからこそアドバイスや解決策を提示したいというのも理屈はわかるのだが、私は場合によってはあまりしてほしくないなと思ってしまうのだ。
ここでは、「愚痴聞かされている身にもなれよ」という点は抜きにして(双方合意の上で愚痴を話している場面)、どうしてアドバイスはちょっと待って欲しいのかを話したい。
愚痴を吐いている人はその時間でダメージを消化していると思う。
それなのに、内容を聞いて、改善点があるじゃない、と思ったとしても、ここでいうのはさらに傷を抉る行為だ。
例えば、サッカーの試合で負けて凹んでいる友人に対して、試合直後に応援に来ていただけで「お前のあの時のパスが悪かったんだよ。もっと〜」なんていう人はあまりいないと思う。チームメイトならまだしも、愚痴を聞いている方は部外者だ。
こういった場合なら、慰めたり、元気づけたりするのが一般的ではないだろうか。あとから、本人が回復して反省点を洗い出すようになってから言ったって構わない内容をその場で追い討ちをかけるようなことはしないはずだ。
それなのに、なぜか家族や恋人、親しい友人など近しい人間に対してだと急にそういうことをする人が増える。
大切な人なはずなのに、どうしてさらに追い詰めることをしてしまうのか。
さっきのブログとも繋がるが、この時に必要なのは「共感」なのではないか。どちらかというと共鳴に近い共感。
悲しんでいるのなら、一緒に悲しむ、怒っているのなら一緒に怒る。
アドバイスや改善点の提示はそのあとがいい。
と、私は思うのだが、本当にひとそれぞれなのがこの話題。
愚痴を聞く側が相手にどのタイプの人なのか聞いて、対応するのが良いのかなと思う。
はじめにあげたように、話す前に宣言するのもおすすめだ。
自分のことをめんどくさいやつだとは思うが、いつも思っているので書いてすっきりした。
本当それぞれで難しい。