せっかち小夏のズボラな生活

20代OL気まぐれ日記

私にとっての共感

「女は共感して欲しい生き物」

なんて言われることもあるけど、男女問わず、共感に安心を覚える人は一定数いると思う。

かく言う私もその一人。

自分の意見をはっきり持っているタイプということもあり、共感を得られるとすごくホッとする。だからこそ、人と話している時もなるべく心地よい共感を提供できる人でありたいと思っている。

 

しかし、この共感というのは意外と難しい。

例えば、約束をドタキャンされてなんだか悲しかった、という話をしている時に

「わかるよ〜。前にドタキャンされた時悲しかったもん」

と言われるとする。「わかる」と言っていることで一見、共感しているように見えるが、これをされた方は、なぐさめてもらう側から急になぐさめる側になってしまうのだ。自分の話を聞いてほしくて話題の中心をずらすのであれば構わないが、これを共感のつもりでやっているのだとしたら厄介だ。

悲しんでいる人間が「あなたも悲しい思いをしたのね!おそろいで安心する!」なんてポジティブな気持ちになれるとは思えない。

 

私がしたい、されたい共感は

「わかるよ〜。蔑ろにされた気持ちになるよね」

だ。

この違いが伝わるだろうか。

まず、感情の分析・言語化してくれることで、相談者の状況を汲み取ろうとしてくれていることがわかる。たとえ同じような経験がなかったとしても、これは気持ちの持ちようでできることだ。「この人ならどういう気持ちになるかな」と考えることが共感だと思うのだ。

加えて、話題の中心を奪うことなくなぐさめることができる。「そうなの!わかってくれる?!」と言わせるのが、共感の正解だと思っている。

 

もちろん、全く同じ感情だ!となって共感できれば良いのかもしれないが、それこそなかなか難しい。

共感するというのは、自分の中から同じものを引っ張り出すのではなく、相手の感情に共鳴するということなのではないかと思う。

 

私はおしゃべりで、自分ばっかり話してしまうことがかなり多い。悪いところだと気をつけている。それでも聞いている時は相手に心から寄り添い、相手の痒いところに手が届く人間でありたいと思っている。

 

あくまで私の感覚だが、「共感がよくわからない」という人のヒントに少しでもなれればと思う。