私にはこれといった嫌いな食べ物がない。
そりゃ、自分で好んで買わないものはあるが、好みではないというだけで、特別嫌いなものはないのだ。
良くも悪くも、嫌いな食べ物がない今の私になったのには主に2つのことがきっかけだったと思っている。
一つは、小学校時代に相性の良い担任と出会えたこと。
低学年の頃の担任の先生は、私たちが初のクラス。若くて元気で熱い女の先生だった。
先生は私たちに給食を食べてもらうために、「完食した人にはシールのプレゼント」というご褒美を用意してくれていた。
シールと言っても、丸い、よくあるシールを一枚、完食したおぼんを返しにいくと、手やおでこにぺとっと貼ってくれたのだ。
大人からしたら、大したことないご褒美でも低学年の私からしたらそれはとても嬉しかった。
これの良いところは、残しても辛い思いをしないところだ。
頑張れそうな日に頑張れば良い。
それでもシールは欲しいから、「少し嫌い」程度ならがんばってみるのだ。
自由帳などに貼ってそれぞれコレクションのようにしていた。少ないから何というわけでもないが、多ければ嬉しい。
そんなことを続けていくうちに、給食で食べられないものは一つも無くなった。先生のポジティブなご褒美と私の単純さがマッチして、おかげさまで嫌いな食べ物のない子になった。
もう一つは親の育て方。
以前も、親の怒り方が変だというブログを書いたが、これもその類だ。
我が家では食事の際の「これ嫌い……」に返ってくるセリフが「じゃあ明日から毎日出す!」だった。
「じゃあもうご飯食べなくていい!」ならなんとなくわかるのだが、それよりも怖い話だ。その日の食事が食べられないのではなく、継続して嫌いが続くのだから。嫌いなものが毎日出るだと……?!となる。
子どもに脅しだなんて、と感じる人もいるかもしれないが、これは作ってくれた人に対して嫌な顔で「嫌い」というとき限定だ。「ちょっと苦手なんだよね」と食事の時間以外にいうことに対しては特に何も言われた覚えはない。
それでも、食事中言われた時には「毎日でたら困る!」という感情が真っ先に出てくるので、結局食べるのだ。頑張れば食べられるのだから、今思えばその程度の嫌いをぶつけてかなり甘えていたんだなと思わなくもない。
そのちょっとしたドキッとのおかげで、嫌いと言うことがなくなり、次第に嫌いなものそのものが無くなった。
嫌いな食べ物が多い人は損してる、とは思わないが、食べられるものが多い方がハッピーだとは思う。
ご褒美で上手に乗せてくれた先生にも、変わった脅しで鍛え上げてくれた母にもとても感謝している。
世の中には美味しい幸せがいっぱいだ。
初めて食べるものでもチャレンジしてみようと思えるのも二人のおかげだ。
これからもいろんな料理を楽しめる自分でいたい。