「趣味はなんですか」
「読書です」
このやりとりをしなくなって何年経っただろう。
幼い頃の私は本の虫だった。
小学校の行き帰りは二宮金次郎のように本を読みながら歩いていたし、寝ても覚めてもどこにいてもずっと本を読んでいた。
夏休みには何冊も本を読み、進んで何個も読書感想文を書いていた。
今でも夏になると図書館を想うほど、夏休みに図書館の思い出がたくさんある。
高学年になると読書の記録をノートに取るようになり、可視化することで向上心も生まれてさらに読書に明け暮れた。
中学に上がっても読書好きは変わらなかった。
今思うと、特に中学1年生の時は友達はほとんどおらず、ひとりの時間がかなり多かったが、何も気にせずせっせと図書室に通って本を読み続けていた。
朝読書の時間ももちろん苦痛なんて思ったことは一度もない。好きなことをしている時間だ。背伸びした本を読むタイプではなく、歳相応の、ファンタジックな小説や学園もの、推理物をよく読んでいた。
読書メーターというサイトにも登録して、読書記録も取ったりもした。
高校に上がって勉強が大変になると少し本を読む量が減ったが、それでも周りに比べると読んでいる方だったと思う。
変な話だが、この頃の私の自信になるものは読書量だけだった。
少し背伸びした学校に入ったこともあり、周りは自分よりも頭の良いひとばかり。校風が好きで強い憧れを持って選んだものの、自分の学力は学校の中で低い方だった。しかも、周りは頭が良いだけでなく、底抜けに明るく、性格の良い人ばかりだった。そんな環境で、自信を無くしていた中で、唯一誇れるのが読書だったのだ。
この頃からなのかもしれない。
純粋に楽しむ読書ではなく、周りを気にした読書になってきたのは。
本だけではなく、活字が大好きで、ドレッシングの裏の文字でも読んでいた自分が、どんどん文章から離れていった。
そうして今。
月に1冊読めば良い方、というのが現状だ。
アイデンティティの一つが「読書好き」だった人間がここまで読まなくなるのか。
純粋に読書が好きだった過去の自分が見たら悲しむのではないか。
今でも図書館も本屋も大好きでよくいくが、読むのはその中の数冊。ほんの一握り。
変な言い方だが、本を読む私のことは好きだった。
文章を楽しく書けるようになったのもあの頃の自分のおかげだ。
過去の自分を失望させることだけは避けたい。
今はSNSで短い文章を楽しむことができるからか、長い文章を読む体力がなくなってしまったのかもしれない。
今から鍛え直しても間に合うだろうか。
自分に誇れる自分を取り戻したい。
この一年の目標である。