「神様が考えて組んでくれた それはまさにTag Team」
槇原敬之さんの「Tag Team」にこんな歌詞がある。
悪いところが見えて嫌になることもあるけれど、それはお互いの悪いところを治すためのチームだと。
私はこの歌詞が好きだ。
ちょっとだけ、家族を、親を嫌いにならずに済むから。
自分の親は別に「毒親」ではないし、複雑な家庭環境でもない。
だからこそ余計に「親が好きじゃない」と言いづらい時がある。育ててもらったのに、という考えもあるかもしれないが、私はその辺に関しては別の見方をしているのでそれは今度じっくり書くとする。
「血のつながり」があるからと言って無条件に相性が良いとは限らない。
育っていく過程で、親とは別の考えや感覚が出てくるのは何も不思議ではない。学校や社会で全く違う考えに触れていけば、どんどん自分というものがはっきりしていくものだ。その中で親とは全く異なる考えを持つこともあるだろう。
ある程度大人になって思うが、親だって、別に完璧な人間ではないのだ。それはどうなの?と思うことも、幼いなと感じることもある。
こんな言い方をすると薄情だ、親への恩はないのかと怒られそうだが、正直なところ「血がつながっているだけ」なのだ。
それでも、切っても切れない関係なのだ。
心から嫌いになれればどんだけ楽か、と思ったりもする。
何不自由なく育ててくれたことには感謝しているし、親が与えてくれた考え方に感謝しているところもある。それでも、私の許せないラインを超えて、私の一番脆いところを突いてくるのも親なのだ。
弱い人だとわかっているからこそ、突き放し切れない。
幸い今は、大学で一人暮らしをすることを許可してもらえ、就職してからも一人暮らしなので、物理的距離ができて、ちょうど良い距離感で接することができている。
初めの頃は、「穏やかな関係を築くにはここまで物理的な距離が必要だったのか」とお驚いたものだ。
親との相性に関して、一人の人間として、人と人との関係と見てもらえる世の中になればな、と思う。
親に対して嫌いだなんて、という考えはかなり根強い。
家族に対してとても神聖な気持ちがあるのだろう。
すごく良いことだとは思うが、それで責められるのはなかなか苦しいものだ。
仲が良いものとして話されるのもちょっぴりしんどい。
親とも兄弟とも親戚とも、相性の良し悪しはそれぞれだと思うのだけど。